mogumogustudio’s blog

人に良いと書いて食!!  食で世界を笑顔に、、、

ボストン茶会事件

 

 

●もぐもぐスタジオ●

 

どうも、モグモグです。

 

いかがお過ごしでしょうか?

 

今宵も

 

食の旅にしばしお付き合いくださいませ。

 

 

 

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歴食~食の旅9弾!!

 
 

本日は、珈琲のお話しの続きで、

カフェの世界第4弾についてお話をしたいと思います。

 

 

 

 

●カフェの世界●

1.コーヒーを飲むきっかけ??

1773年

アメリカのボストン州はイギリスの植民地でした。

その、ボストン港で起こった事件により

急速にコーヒーを飲む習慣が発展していったと言われています。

 

2.ボストン茶会事件

ボストン茶会事件

 

1773年、イギリスが茶法を制定した。

Tea Act 茶条令ともいう。

 

アメリカには、17世紀後半にコーヒー、ココア、紅茶が伝わりましたが、

イギリスの紅茶の飲用習慣をそのまま引き継いで、

当時は紅茶の方が普及していました。

 

イギリス本国がアメリカ植民地に対して茶の輸入に課税していた。

植民地側が、対抗上オランダからの茶を密輸入するようになったため、

以前から経営難に陥っていた東インド会社は打撃を受けた。

 

イギリスが、コーヒー貿易の競争でオランダやフランスに敗北し、

紅茶貿易に切り換えたことにより情勢が変わりました。

 

イギリス政府は東インド会社を救済するため、

1773年に茶法を制定し、会社手持ちの茶を、

イギリス仲買人を経ずに植民地に直売し、植民地の茶市場の独占をした。

 

植民地側は茶の密輸業者だけでなく、

一般貿易商、消費者も、東インド会社による商品市場の独占につながるとして

激しい反対運動を展開した。

 

イギリスは「茶条令」の発布によって輸入紅茶を独占した上で、

価格をつりあげ、重い税金をかけたのです。

 

それにより、イギリス政府は東インド会社を救済するため、

1773年に茶法を制定し、会社手持ちの茶を、

イギリス仲買人を経ずに植民地に直売し、植民地の茶市場の独占をした。

植民地側は茶の密輸業者だけでなく、

一般貿易商、消費者も、東インド会社による商品市場の独占につながるとして

激しい反対運動を展開した。

 

これに怒ったアメリカの人々は

ボストンに停泊していたイギリスの東インド会社の船を襲い、

積み込んであった紅茶をすべて海中に投げ捨ててしまいました。

 

これが1773年に起こった「ボストン茶会事件」です。

この事件を機にアメリカはイギリスからの独立の気運を募らせたとともに、

紅茶よりもコーヒーを好むようになっていったと言われています。

 

 

 
今宵はこの辺で
 
 

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